バイオテクノロジーについて考えるプロジェクト「変種編集室」に関わった人間として倫理問題について考えをまとめました。コロナ禍でやることがないので書いてみた…のかも知れません。
「畜産業が抱える環境問題をフードテックが回避できるのか?ーテクノロジーがもたらす食と環境保全ー」
ユミソン 2022年6月26日
- はじめに
「畜産業が抱える環境問題をフードテックが回避できるのか?」という疑問を、功利主義的観点から考察し、多くの国で主流となっている肉食主義社会を再考します。フードテック(Food Tech)とは、食分野の課題を解決する技術を意味する造語です。
一般的に大豆に代表されるような非畜産業によるタンパク質の供給は、環境破壊が少ないと言われています。一方でその効果はまだ予測の範囲内であり、代替用に育成される植物の環境コストは算出されていません。
さらに、環境負荷が低いとされている代替手段の名称が、「フードテック」という新しい技術の場合、食品市場の課題は環境問題ではなく、大きな投資先として認識されます。その場合「フードテックがもたらす未来」という名の未来予測は、投資家の投資した金額の大きさに比例して楽観性が懸念されます。
一方で、フードテックが「投資家にとって都合のよいもの」だとしても、近い将来に到来する100億人の食糧問題は解決しなければならない問題であることに変わりはありません。後戻りできないことは事実なのです。私たちには少ない時間と選択しか残されていません。その中で的確な道を選ぶには、パースの可謬主義的な思考が助けとなるかもしれません。 - 畜産業がフードテックを必要とする背景
気候変動による地球温暖化に関する条約としてリオ・デ・ジャネイロで1992年に採択された国際連合枠組条約は、京都議定書からパリ協定へと続き、SDGsとも結びつくことで、世界中を巻き込んだ持続可能な社会を目指すに至りました。
M. Crippaらの論文によると、温室効果ガスの総排出量の34%はフードシステム全体で排出をしています[ii]。そのような環境負荷への懸念から、食肉量を抑える動きは世界中で緊急性を帯びており、最新技術を用いた早期の解決策が期待されています。このような環境負荷への懸念から肉食主義をやめる人々も現れました。 - 肉食主義文化の考察にプラグマティズムを用いる目的
しかし、肉食主義に疑問を抱き、今まで消費の多かった先進国が畜産業を縮小し、食肉量を減らしたとしても、世界の人口増加に伴う食肉量の増加は防げません。加えて、新興国の食糧事情の改善により今後はさらに世界全体の食肉の総量は増えます。近い将来需要と供給のバランスが崩れるとの予測があります[iii]。
人々は新たなタンパク質源として「代替肉」「培養肉」を求め始め、「昆虫食」も視野に入れ始めていますが、今までの肉食主義の習慣を、このような合理主義の理論だけで改めることができると私は考えていません。このレポートではフードテックを用いて肉食主義から脱却することの合理性をプラグマティズム的観点から考察することで世界の環境改善を担う一端となることを目的とします。 - 工業畜産がもたらす倫理的問題
産業革命により生まれた工業的畜産は、安価な食肉を安定して供給するに至りました。チーズバーガーが主食だと公言している肉食主義者のトランプ元大統領は、2020年4月のCOVID-19パンデミック時に工場閉鎖による食肉供給の滞りを恐れ、畜産工場へ操業継続を命じました。
パンデミックの間も畜産工場では不法移民を含む人種的少数派が低賃金で劣悪な環境下で働き、多くの陽性患者や死者を出しました[iv]。CNNによると人種の種別は中南米系(35%)、黒人(20%)、アジア系(8%)だといいます[v]。その事実が広く報道されたことにより、アメリカの市民はもとより先進国の人々は人権を含めた工業的畜産に対する考えを改める機会を得ました。 - 拡大するフードテック市場
2019年時点でフードテック市場は約2,203億ドルであり、2027年までに4,325億ドルに達するとの試算があります[vi]。フードテック企業の多くは、「温室効果ガス軽減」や「アマゾンの生物多様性を戻す」などの環境問題について、また、飢餓やアニマルライツに代表されるような不均等な社会の倫理的問題の解決を掲げています。
フードテックのスタートアップへの投資には実業家のビル・ゲイツを始め、ハリウッド俳優のロバート・ダウニー・Jr、レオナルド・ディカプリオ、ミュージシャンのコールドプレイなど世界的なセレブたちも参入し、一つの企業だけで数十億円以上の投資を受けることもざらにあります[vii]。
既に、培養肉の安価な供給の技術は確立されています。シンガポール国家は環境行動計画「シンガポール・グリーンプラン・2030」に基づいた食料自給率上昇のために、培養肉の製造と販売を促進しています[viii]。Catherine Tubbらの論文によると、2030年までに微生物を使ったフードテックによりアメリカの工業的畜産は半分となり、植物由来の製品は工業的畜産よりはるかに安定的な供給をもたらし、その生産コストは下がると予測しています[ix]。 - 考察
このようにフードテックは倫理的にも効率的にも最適解を出そうとしています。しかし技術がもたらす食文化の変化による環境保全がプラグマティズムの格率となり、社会が変化するには依然として障壁があります。なぜなら、フードテックがもたらす食は「公平な食の分配」ではなく、「従来の味覚の維持」だからです。
最大多数の最大幸福を説いたベンサム的な見方をすれば、先進諸国の「今までの生活」が延命でき、なおかつ発展途上国のQOLが上がることは、多くの人の快楽や幸福がもたらされることであり、ある意味では倫理的に正しいのかもしれません。
一方で、イマニュエル・カントは「適切な選択ではあるが善ではない」と言うかもしれません。何より私が指摘したいことは「従来の味覚の維持」を別の角度で捉えると、「食肉」が植物や他の物質に変化しただけで「世界の不均等が見えない状態」は、今までのように保たれるからです。
肉食主義の現在的なあり方、それ自体を問うとき、私を含む多くの肉食主義の当事者は「肉食“主義”なんていう強い主張やイデオロギーじゃないよ。お肉を食べるのは”普通”に生活してたら”当たり前”のことでしょ」と答えるかもしれません。「ベジタリアンやヴィーガンなんて意識が高いw」と笑うかもしれません。
私たちの住む世界の環境が破壊されているこの只中でさえ、肉食主義という今後も続くと思い込んでいるものに疑義の目を向けながら意識の俎上に乗せることや、内面化されてしまった行動に対して批判的な考察の目を向けることは、私たちにはとても難しいのです。
日常のちょっとしたミスでさえ認められないのに、自分の食生活の基盤が「正しくない」かもしれないと認める心理的障壁は乗り越えがたいものがあります。そうであるがゆえに、その障壁を乗り越えるには、パースの言うところの可謬主義的な知識の更新の手法、つまり私たちは常に訂正される可能性の中にいる、私たちは原理的に間違いうる存在であるという考え方を手にいれること、それらがフードテックと車の両輪のように共に発展することが必要なのです。
*2022年6月に書いた「である調」を2025年1月に「ですます調」に書き直しました。
[i] https://archive.org/details/popscimonthly12yoummiss/page/297/mode/1up?view=theater
[ii] “Food systems are responsible for a third of global anthropogenic GHG emissions”, M. Crippa, Nature Food volume 2, pages198–209 (2021)
[iii] “Future protein supply”, Harry Aiking, ACADEMIA, 16 April 2010.
[iv] “持続可能な食肉からエコロジー社会へ”, 太田悠介, 現代思想2022年6月号, 2022年5月27日, P194
[v] “<新型コロナ>再選狙う大統領 操業継続命令 移民働く米食肉工場コロナ禍 供給危機”, 東京新聞, 2020年5月18日
[vi] “Food Tech Market By Technology Type (Mobile App, Websites), By Service Type (Online Food Delivery, Online Grocery Delivery, OTT & Convenience Services), By Product Type (Meat, Fruits and Vegetables, Dairy), and By Region, Forecasts to 2027”, EMERGEN RESEARCH, Jan 2021
[vii] “The Week in Agrifoodtech: Brevel’s microalgae protein bags $8.4m, Brazil’s Agrotools closes $21m, CHONEX raises $6m”, AFN, June 9 2022
[viii] “Singapore Green Plan 2030”
[ix] “Rethinking Food and Agriculture 2020-2030: The Second Domestication of Plants and Animals, the Disruption of the Cow, and the Collapse of Industrial Livestock Farming”, Catherine Tubb and Tony Seba, 19 Apr 2021